一般社団法人 大牟田青年会議所
第70代理事長

白石 政隆

JCしかない時代から
JCもある時代へ。

そして今、やはりJCでなければならない時代へ。

幼い頃、私はJCが大嫌いだった。だがそれは、JCのこともまちのことも、何も知らなかった頃の話だ。様々な社会経験を積み青年になった私は、人脈づくりのために大牟田青年会議所の門をたたいた。それなりの自信をもって入会したものの、そこにいた同世代の“溢れだすエネルギー”を目の当たりにした時、うぬぼれていた自分自身を恥じてしまうほどに圧倒されたことを今でも鮮明に覚えている。それからというもの、先輩たちに必死に食らいつき、多くのJC運動や活動を経験してきた。入会当初は自分の人脈づくりのためという“自分主体”でしか行動していなかった私が、気づけば「この人のため」や、「まちや地域にとって、少しでもプラスになるなら」という“利他の心”に行動指針が変化していた。そして今、私には人脈という言葉では軽すぎると想えるほどの、たくさんの“仲間”ができた。

この愛してやまない大牟田青年会議所という学び舎は1955年7月16日に誕生し、本年で創立70周年の節目を迎える。この学び舎を誕生させ、今日まで紡いでくださった諸先輩方に感謝するとともに、大牟田に対する情熱を承継し、創始の精神と不変の理念のもと、泥臭くとも青年らしく失敗を恐れずに行動を起こし、ふるさと大牟田をさらによりよい状態へと導く。それこそが我々大牟田JCの責務である。私は確信している。このまちの将来を創るのは、我々青年であると。

JCは40歳で卒業を迎える団体である。時間とは、唯一すべての人々に平等に与えられたものであり、時は進むことしかなく、絶対に戻すことができない。だからこそ、我々は限られた時間を有効に使い全力でJC運動や活動をすることができる。そして、失敗を恐れずに行動を起こした経験と軌跡にこそ意義があり、その行動が“修練”そのものなのだ。さらに、皆家庭や仕事を持った上で、無い時間を創り、汗水たらして稼いだお金を使ってJCをやっている。ゆえにJayceeは誇り高い。ただし、我々は青年経済人と称しているが、広義の経済界で見ればまだまだ“ひよっこ”であるという自覚を持たねばならない。“ただのひよっこ”としてこれから経済界の荒波を渡り歩くのか。それとも、この学び舎で“鍛え抜かれたひよっこ”として経済界に打って出るのか。どちらを選択するかはその人次第であるが、JCという学び舎で成長の機会を掴みに行った人は、必然的に後者となるだろう。また、この学び舎にはいくらお金を積んでも買えないもので溢れている。それは経験した人にしか得られない環境や景色のことであり、得られるものやその大小は人それぞれだろう。しかし、間違いなく己の器を広げるものであり、その後の人生により良い影響を与えると私は信じている。だからこそ、仲間とともにチャンスを掴むための行動を起こそう。

我々のふるさとである大牟田では、今も人口減少に歯止めがかからない。だがこれは大牟田に限ったことではなく、日本全体が少子高齢化の波に襲われている。日本は高度経済成長期に爆発的な人口増加をしたものの、核家族化や社会の仕組みの変化によって子どもの数が徐々に減少しており、この先、日本の人口が再び爆発的に増加することは見込めないだろう。しかし、世界に目を向けるとどうだろうか。世界の人口は増え続けている。これからは、より一層世界に目を向けるべきではないだろうか。約60年前、人口が20万人以上いた頃の大牟田はとても誇らしいが、その頃が大牟田の全盛期であったと私は想わない。だが、他者と違うことをやらなければ、当時の大牟田の輝きを超える日は二度と訪れないだろう。我々は、今こそ原点である創始の精神に立ち返り、親から注がれた無償の愛と同じように、ただただ純粋にまちの将来を想い行動する“奉仕”の精神を開花させ立ち上がるのだ。そして、これからは世界に目を向け、増え続ける世界中の人々が「一度は訪れたい」と言ってもらえる“世界の大牟田”を我々自身が強くイメージし、過去の輝かしい栄光と誇りを胸に「その時代を超えることができるのは、今を生きる私たち市民だけである」という意識と情熱をすべての人々へ伝播させていくことが重要である。

大牟田JCでは、なぜ5年ごとの節目をこれほどまでに大切にするのだろうか。会員数も減少傾向にあるのに、なぜ大変なことをやらなければならないのか。少し前の私であれば、そんなことを考えていただろう。しかし、この周年という節目にこそ、脈々と受け継がれてきた大牟田JCの魂の根幹があるのだと、今は断言できる。JCは単年度制であるが、組織はこれからも永続的に続いていかなければならない。また、時代は刻一刻と進み続け、社会課題は目まぐるしい速度で変化している。これまでも大牟田JCでは、周年の節目に過去を振り返り、時代に応じた運動方針を打ち立ててきた。だからこそ、先駆けの団体であり続けている。創立70周年の節目においても、過去をしっかりと振り返り、まちの現状を見極め、5年後、10年後の明るい豊かな大牟田を見据えた新たな運動方針を決意とともに表明することで、未来への飛躍を誓う。そして、会員は周年だからこそできる貴重な体験の中で仲間との“友情”をより強固なものとし、組織の基盤を盤石なものへと磨き上げ、次の節目に想いとともにバトンを繋ぐ。さらに、この節目に大牟田JCの存在意義と価値を向上させることで、今後起こす運動が市民により認知され、それが我々のめざすまちづくりに共感と協賛の大きな渦を生む。この連鎖としくみを生み出し続け、その先頭に立っているのは常に我々大牟田JCでなければならない。その気概と心構えを持ち続けることが、規律ある組織として成長を続け、このまちに必要とされる団体であり続けるのだと確信する。

我々は自分たちだけで運動を起こし、社会に一石を投じていると勘違いしてはいけない。これまで行ってきた“運動”は、市民や民間企業、そして行政に共感を生み、心を動かしてきたからこそ効果があったのである。それゆえ、民間企業や行政との繋がりは「明るい豊かな社会の実現」を成すための大きな原動力となるのだ。しかし、今一度これまでの自分自身を振り返り、冷静に考えてみてほしい。JC運動や活動を行ってきた中で、行政や民間企業の方々に協力の依頼や、我々の願いを聞いてもらった経験があるだろう。もし、その時の自分に大牟田JCの看板がなかったら、果たして協力をいただけたのだろうか。我々が持っているこれらの繋がりは、すべて諸先輩方が紡いでくださった大切な“財産”なのである。そして、現役である我々はこの大切な財産を継承し、活かすことも責務である。この財産を最大限に活かし、発展させ、発信する運動を最大化していくことは、これからのふるさと大牟田にとっても必要なことである。新たな繋がりが、これまでは考えもしなかった新しい運動となり、新しい運動が想像を超える影響力をもっているかもしれない。私は、そう信じている。変化を恐れず、新たな一歩を踏み出そう。

私は、大牟田JCが大好きだ。この学び舎がなければ、すばらしい仲間との出会いや、本気でまちの将来を考えることなどなかっただろう。JCを悪く言う人に出くわしたら言わせておけばいい。我々は大牟田の将来を考えているんだ。そのようなことに構っている暇はない。だが、私は決して初めからJCが好きで、全力を尽くせていたわけではない。尊敬する先輩や慕ってくれる後輩、大切な仲間、応援してくれる家族など、多くの人々の想いを背負っているからこそ、頑張れる。JCは「できる、できない」じゃない、「やるか、やらないか」だ。私はいつも、やるかどうかで迷ったときには、“やってみらなわからんめーもん”と心の中で唱えている。少し格好悪い言葉だが、自分の心を動かすには十分だ。やらない後悔をするよりも、やった経験を得る。それが青年会議所という青年のための学び舎なのだから。

さあ、ともに青年の王道を
駆け抜けよう。